blog

ブログ

私がなぜこの事業をしているのか。考えてみたらこうだったの巻①

最近、様々な業界の方のSNSやブログを拝見しています。

改めて、なぜ自分がこういう今の事業を行なっているのか、じっくり考えてみました。の巻です(笑)

ちょっとでもご興味がございましたら、時間つぶしに読んでみてください。

ーーーーーーー

私は中学2年生の時に母を亡くしました。

病名は【卵巣癌】

正直亡くなった3年くらいはおかしくなっていました(笑)。

魂が抜けていたというか。

人生、どうでもういいわ。とか考えていたりしてました。

 

だって、とっても母が好きだったから。とっても。

 

次女だった私は、6歳離れた姉がいますが6年ぶりの育児だったせいか母もとっても私を

愛してくれていました。とても愛情を感じていました。だから私も同じくらい大好きでしたね。

母がいないと何もできない。

いや、したくないくらいの甘えん坊でしたから(笑)。

だから、いつもいつも母の喜ぶことを考えていたりしました。

 

俗に言う、【マザコン】の私でしたが、

母の【病気】に一つも気づいてあげる事ができませんでした。

 

これは、あとあと聞いた事ですが、他の家族みんなも同じ意見でした。

当時は、父の祖父母と同居していまして、二人とも【認知症】でした。

今みたいに【認知症】という知識も情報もなかった時代なので、ほぼ隔離で一歩も外に出しませんでした。

そんな二人を24時間体制でお世話をしていた母。

 

今考えると、とても残酷。

 

でもね、私には全然弱音吐かなかったんです。本当に。

 

いつも私を気にかけてくれて。私のわがままにも答えてくれていて。

完全にダメダメ娘でした。

 

だから気づいてやれなかったのかな。。

 

母が病院に行った時には、もう末期状態だった。

 

手術もしたけど、すでに全身に転移していたと思う。

私はそれでも、退院を心待ちにしていました。

と言うか、まさか退院できない訳がないと思っていましたから。

母は、いつもジョークばかり言って、私たちを明るくしてくれていました。

そして常にポジティブ思考。

落ち込んだ私にも、

 

【大丈夫!大丈夫!舞ならできる!】

って。

 

だから、術後危篤状態と連絡が入り、病院に駆けつけた時に、

生まれて初めて、母の苦しい顔と大量の涙を見ました。

そこで、わかったんです。

 

【もしかして、死んじゃうの?】

って。

 

今でもこの情景は鮮明に頭に焼きついています。

 

私の声で瞬きもできないくらいの朦朧としている中で、力一杯目を開いて見てくれた眼差し。

 

もうね、なんとも言えない感情でした。

だって中学二年生ですよ。

思春期に経験しちゃいけない経験ですよ。

 

それから5時間後、天国へ行ってしまいました。

 

こんなに現実を受け入れたくないって思った日はありませんでした。

 

自分を攻め立て、家族を恨みまくりました。

その後の学生生活は想像通り、荒れ果てました。

全てに反抗し、全てを馬鹿にしていました。まあ、仕方ないです。

正直、この反抗期は20歳まで続きました。

 

でも私がこうやって前向きにこう言う話を皆さんにできるようになったのはここ3年くらい前からです。

 

やっと受け入れられたんです。母の死を。

 

今頃?って思われるかもしれないけど、

これは、こういう経験をした人にしか、わからない。決して同じ経験をしてとは言ってるわけでは全くないけれど、わかろうと思っても難しいかなと思います。

 

でも、今こうやって母の死を話せるのは私にとって大きな1歩で、

受け入れた事で少しでも母の死をしっかり認めるために今の自分があるんだと思えるようになったんです。

 

 

その理由は、私がなぜこの事業をしているのか。考えてみたらこうだったの巻②で

お話しようと思います。←ちょっと書いてるうちにまた記憶が蘇ってきちゃったから疲れちゃいました。ごめんなさい。

 

今の私がいる理由をお伝えします。

長文お付き合いいただき、

ありがとうございます。

ーーーーー

 

LINEで送る

月別一覧

トップに戻る